エンターテイメントを語りたい
まず私は人類絶望論者である。
現代(とっくの昔に)ではテクノロジーが人の能力を凌駕していてほとんどの人は不要な存在として生まれてくる。
しかし周囲の人が人権を尊重した結果、あるいは楽観的希望、もしくは人生の無意味さに気づいてないため絶望の存在を教えられることは殆どない。
我々は潜伏した絶望の発症を防ぐため薬を投与し続けなればならない。
その薬とは幸福である。
幸福には2つあり、1つは希望。
もう1つがエンターテイメントである。
実のところ人生に必要な幸福の総量は人生観によるところがあると思っていて、もし社会(もしくは持てる義務者)が絶望を対策しようとするなら人生に必要な幸福総量を軽減する思想、もしくは社会の絶望力に比例した希望とエンターテインメントを提供したらよいのではないかと考えている。
当たり前ではあるが我々は3食、温かくうまい飯を食べる必要はない。
何故なら必要な栄養素を接種できればよいからだ。
では何を接種しているのかと言えばもちろんエンターテイメントである。
我々は絶望を発症しないためにエンターテイメントを接種し続けなければならない。
なぜ社会に人生に娯楽が必要かと問われたら、絶望しないためと説きたいと思う。